
インタビュー「きらり臨床検査技師」は検査技師としての本来業務だけでなく、所属施設外で精力的な活動を行っている方、興味深いテーマや研究に打ち込んでいる方、ユニークな資格や経歴を持つ方など、編集部が“きらり”と感じた検査技師を紹介します。(MTJ編集部)

雪の聖母会聖マリア病院(福岡県久留米市)の南島友和さんは、新卒で入職して以来、10年ほど生理検査を担当する臨床検査技師として、心臓カテーテル手術時の心電図検査などの救急の現場で経験を積んできた。転機が訪れたのは15年前の2010年。国際協力機構(JICA)の国際緊急援助隊の一員として、マグニチュード7.0の地震に襲われたハイチへ派遣された。
限られた医療資源の中で命を落とす被災者の姿にショックを受けた。一方、被災地の子どもが感謝を伝えたいと、姉妹らと一緒に自分たちの宿舎を訪ねてきた。現地の言葉は分からなかったが、子どもの笑顔に胸が熱くなり、「支援活動に携わって、本当に良かった」とやりがいを実感。以来、病院の検査業務にとどまらず、災害医療支援活動に注力することに。
2011年からは災害医療支援チーム(DMAT)の隊員となり、国内・海外の被災地に赴いてきた。これらの活動経験を踏まえ2024年4月からは厚生労働省医政局の救急・周産期医療等対策室に出向。被災地の医療機関の稼働状況や医療ニーズなどの情報を共有する「広域災害救急医療情報システム(EMIS)」の運用業務に携わる。南島さんに災害医療支援活動の意義や仕事のやりがい、支援チームの中で心がけていることなどについて、話を聞いた。
◆地元の臨床検査技師養成校を選択
―臨床検査技師を目指した背景やきっかけを教えてください。
漠然とですが高校生の頃から医療に興味があり、自分が身に付けた知識や技術を生かして社会に貢献できたらと思っていました。化学の実験が好きだったので、最初は薬学部を志望していたんです。大学受験で1年浪人したのですが、同級生から臨床検査技師という医療職種があることを教えてもらって、地元の久留米大学に臨床検査技師の養成課程があることも知り、進学の選択肢に入れることにしました。2度目の大学受験では薬学部にも合格したのですが、他県の大学だったこともあり、久留米大学の臨床検査技師養成課程を選びました。
―就職先も地元の病院を選んでいますね。
幅広い検査に携わりたいという気持ちが強かったので、地元の大規模病院である聖マリア病院(1097床、42診療科)に入職しました。生理検査担当に配属され、心電図や脳波、肺機能、超音波などの検査を一通り経験した後、心臓カテーテルなどの手術室での業務を担うようになりました。手術室では、心電図を確認しながら血行動態などの情報を他職種と共有します。心臓の状態を踏まえて、医師が次に使う道具を推測して準備したりします。心臓の解剖図や手術手順なども理解する必要がありますし、自分でもいろいろ調べたりしてかなり知識を覚え込みました。最初は不安な気持ちやプレッシャーもありましたが、手術の現場に慣れるにつれて臨床検査技師が重要な役割を担っていることを実感でき、それがやりがいにつながっていましたね。
◆被災地の子どもの笑顔に胸熱く
―災害医療支援に携わることになったきっかけを教えてください。
臨床検査技師になった当初から、「医療人の一人として社会に貢献できることはないか」とずっと考えていました。聖マリア病院は地域医療への貢献はもちろん、国際貢献も理念に掲げており、JICAの研修受け入れ施設でもありました。同僚にもJICAの国際緊急援助隊で活動している人がいたので、私も必要な研修を受けて派遣希望の登録をしていました。そんな中に起きたのが2010年のハイチ共和国の大地震で、国際緊急援助隊として現地に赴くことになりました。

―実際に支援活動に参加してみてどうでしたか。
ハイチの災害支援活動では、傷病者の受付やさまざまな臨床検査を担当しました。建物倒壊等での外傷患者が多く、片腕を失ったり、足を切断したりした人などを目の当たりにして、非常に強い衝撃を受けたのを覚えています。忘れもしないのは最初の受け付け患者です。「息苦しい」と訴えていたのですが、治療に必要なものがなく急性心不全で亡くなってしまいました。日本であれば救うことができたのに、ここの医療体制では救うことができない。海外の被災地での現実に向き合った忘れられない経験です。
