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〈インタビュー〉平瀬和廣さん(長崎県・上五島病院)離島で43年、医療功労賞で天皇陛下に拝謁 「人間味のある臨床検査技師になってほしい」

  • mitsui04
  • 7月21日
  • 読了時間: 8分
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 インタビュー「きらり臨床検査技師」は検査技師としての本来業務だけでなく、所属施設外で精力的な活動を行っている方、興味深いテーマや研究に打ち込んでいる方、ユニークな資格や経歴を持つ方など、編集部が“きらり”と感じた検査技師を紹介します。(MTJ編集部)

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 長崎県の上五島病院(長崎県新上五島町)で40年以上、臨床検査技師として離島医療を支え続けてきた平瀬和廣さん。生まれ育った地元に貢献したいという強い思いから養成校卒業後に入職したのは1982年4月。病院唯一の臨床検査技師としてキャリアをスタートさせ、検査業務全般のシステム化や、離島地域の臨床検査技師の育成に尽力してきた。今年に入り、離島へき地医療などに貢献してきた医療従事者を表彰する第53回医療功労賞を受賞した。人材確保が難しく、定年後も変わらず現場に足を運ぶ平瀬さんに今までのキャリアを振り返りながら、臨床検査技師が果たす役割などへの思いを語っていただいた。
―第53回医療功労賞の受賞おめでとうございます。上五島で生まれ育ち、地元の病院で40年以上活躍されていますが、臨床検査技師になったきっかけは何かあったのでしょうか。

 高校に入る頃まで臨床検査技師を目指したいという明確な思いがあったわけではありません。高校卒業後の進路を考える際、地元に残ることができる就職先を探していたのが正直なところだったと思います。島内の就職先の選択肢が少ない中で、通っていた高校に対し、上五島病院から臨床検査技師を目指す学生を募るような話があって。そのタイミングで臨床検査技師という職種を知りました。病院から奨学金を出していただけるということで、長崎市内の養成学校(九州医学技術専門学校)に3年間通い、国家試験取得後に地元に戻り上五島病院に入職しました。

 奨学金を頂いたこともあって5年間の勤務が必要で、その期間が過ぎたら島を離れることも考えました。ただ、日々の検査業務にのめり込む中、離島で自分に与えられた使命感のようなものが強くなり、気付けば40数年の月日が流れていった感じです。

◆苦労した検査業務部門のシステム化

―1980年代当時の検査業務は今のように自動化、システム化されていない時代だと思います。離島という厳しい環境下、病院唯一の臨床検査技師としてどのような日常業務を過ごされていたのでしょうか。検査業務全般のシステム化や、現在の検査業務体制が整うまでの取り組みも教えてください。

 入職当時、病院に検体検査の担当者が2人いましたが、臨床検査技師の資格を持つ方はいませんでした。検査業務も生化学・免疫、一般、血液、微生物、輸血、そして生理検査も含めて一通りの業務をこなす感じでしたね。検査装置が自動化、システム化される前の時代でしたので業務全般は基本的に手作業で、かなり多忙だったことを記憶しています。入職から数年たち、病院が新築移転した頃、生化学検査の自動分析装置が入って…。1990年代になると、検査データのやりとりなどをペーパーレスで行うオーダリングシステムが稼働し、その後の電子カルテ導入につながっていきます。

 今でこそ当たり前の電子カルテですが、紙カルテから移行する際は、電子カルテという仕組みそのもののイメージもなかなかつかめなかった記憶があります。予算の関係もあって検査部門の一部しか落とし込めず、輸血管理や微生物の検査システムは市販ソフトを活用しながら試行錯誤しながらの運用をしていました。振り返って見ると、アナログだった時代に入職し、それから検査業務の自動化、効率化といった検査システム全般の構築が、自分のキャリアの大きなテーマの一つだったように思います。

◆離島での勉強会、人材育成にも貢献

―少し話を変えます。上五島病院の臨床検査技師としてだけでなく、長崎県臨床検査技師会や地区技師会の活動にも取り組まれてきました。離島特有の課題なども多くある中で、どういった点を意識しながら技師会活動を進めてこられたのでしょうか。

 長崎県技師会では、五島や対馬、壱岐を含めて担当する「離島地区担当理事」を2003年から7年間務め、長崎県本土の理事会に参加するようになりました。そこでの主な役割は、離島地区からの研修会の要請であったり、離島特有の課題への協力といった本土とのパイプ役。今ではウェブでの会議かもしれませんが、こうした場で県内の他施設の臨床検査技師と出会い、互いに顔の見える関係ができたことは非常にありがたかった。

 一方、地元の上五島地区では入職後しばらくして臨床検査研究会を立ち上げることになって…。私自身、20代前半の駆け出しの頃で、当時は臨床検査技師だけでなく、検査業務に携わっている方々も含めて検査実務を学んだり、意見交換や情報交換をする貴重な機会でした。今では想像もつきませんが、1980年代は当たり前ですがインターネットもスマートフォンもなく、日々の検査業務に必要な知識や技術、ノウハウを学ぶことは難しい時代。それに離島という地理的なハンディも加わり、最新情報に触れる機会が少ない大変な時代だったように思います。

20歳代の頃、上五島で開催した県技師会研修会(平瀬氏=後列中央)
20歳代の頃、上五島で開催した県技師会研修会(平瀬氏=後列中央)
 研究会では年1~2回、さまざまなテーマで勉強会を重ねてきました。長臨技理事を務めた縁のつながりで、長崎県本土から講師に来ていただいて…。離島で勉強会を続けること自体が大変だったのですが、今思うと20人くらいの仲間で集まっての交流は忘れられない思い出です。私が20代の頃は、長臨技の研修会を上五島で開催することもあり、皆に来ていただいて一緒に研修会をすることもありました。地区研究会の会長は1997年から2021年まで、気付けば24年間が過ぎていました。その間、時代は大きく変わりましたが、生まれ育った上五島地区での臨床検査技師の育成であったり、検査実務の底上げなどに少しは貢献できたのかもしれません。

◆医療功労賞の受賞
「全国の臨床検査技師を代表して」

―定年後も現場に残り、臨床検査技師として40年以上活躍されています。離島での長いキャリアの中で印象に残っている思い出などを教えてください。

 離島で長く臨床検査技師をやっていれば、顔見知りの患者も多くなりますが、検査データを通じて健康状態がある程度把握できてしまいます。父親も晩年、上五島病院に入院していたのですが、血液検査データ等を医師より早く見るので、家族への説明の前に死期が近いことを悟ってしまうようなことも経験しました。もし臨床検査技師以外の道を選んでいたら経験しなかったことですし、複雑な思いを強く感じた出来事でした。
第53回医療功労賞を受賞(平瀬氏=前列右から2人目)
第53回医療功労賞を受賞(平瀬氏=前列右から2人目)
医療功労賞のメダル
医療功労賞のメダル
 振り返れば、離島特有の問題がいろいろありましたが、定年後になって、医療功労賞を受賞したことは検査技師人生で一番の思い出になったのではないかと思っています。修学旅行以来、48年ぶりに訪れた皇居で天皇陛下に拝謁し、ありがたいお言葉まで頂きました。表彰式は一部テレビで放映されたこともあって、人に誇れるような何か実績があるわけでもないのに多くの方々からお祝いの言葉を頂きました。こうした賞を頂けたのは、周りのスタッフや検査技師の仲間、そして地域住民の方々のおかげですし、全国の臨床検査技師を代表して頂いたものだと思っています。

◆装置のオペレーターではない

―技術革新や人工知能などで、検査室の業務環境はさらに大きく変わってきます。平瀬さんの思う臨床検査技師の役割や、やりがいはどういったことでしょうか。また、これからやりたいと考えていることや、次の時代を担う若手検査技師らにもメッセージを頂ければ…。

 検査業務の自動化が進み、測定方法や原理を知らなくてもボタン一つで検査ができる時代になり、人工知能の活用も進むはずです。簡単な検査は自宅で自分で行い、データを遠隔で読み取って診療はオンラインという時代も来るかもしれません。ただ、どれだけ自動化、効率化が進んでも、臨床検査技師が専門知識や技術を生かしながらやるべき業務が必ずあります。

 私自身が意識してきたのは、やっぱり柔軟性があって人間味のある臨床検査技師でありたいということ。これからの若い方には、検査装置のオペレーターではなく、温かさや思いやりのある検査技師を目指してほしいです。

 上五島病院は関連2診療所を含め、臨床検査技師が12人まで増えていますが、まだ定員には足りないです。定年は過ぎていますが、体力の続く限りは後輩をサポートしていきたい。コロナ禍で中断されたままの上五島地区の研修会を再開させるための企画や運営ノウハウを伝えていく役割も残っています。

上五島病院の皆さんも参加する「健康まつり」
上五島病院の皆さんも参加する「健康まつり」
休日のリフレッシュは釣り
休日のリフレッシュは釣り
 地元に育ててもらいましたし、町が開催する「健康祭り」での職業体験イベントなども通じ、職種に関心を持ってもらい人材を確保できるのが理想ですが、人口1.5万人の離島では難しい部分もある。都会の病院などで、働く環境を変えてみたいと思われている臨床検査技師の方がいれば、われわれのような地域も選択肢の一つに加えていただければうれしいです。

 もう少し時間はかかりそうですが、自分が役割を終えたら、趣味の釣りをしてのんびり過ごしたい(笑)。今の時期はヤエン釣りでアオリイカがたくさん釣れます。長崎駅近くから船で約1時間半、機会があればぜひ一度、上五島に遊びにも来ていただきたいですね。







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